さて、ここは自分のブログなので自分語りであれなんであれ、好きなことを書いていいのだ。なんという自由。自由は素晴らしい。その自由の前にはこれが株式会社エス・エム・エス Advent Calendar の一部 (12⁄18 の回) であることなど些細なことである。
2024年を迎えて2月になると、今の会社へ入社をして10年目に突入する。これまで転職が多く、長く同じところにいるイメージが少ないからだろうか、「なぜ今の会社にいるのか・続けられるのか」という質問を度々受ける。プライベートで会った知人にも聞かれるし、カジュアル面談のような場でも聞かれる。
決まって答えているのは「上司に不満がない状態でいられるから。そして、その行き着く先である経営に不満がない状態でいられるから」である (本題ではないので説明はしない。気になる人は直接聞いてください) のだが、もう少しその内訳を考えてみた。で、その中で思考様式の相性の良さというものに気づいたので、思考様式の種類について説明してみたい。
思考様式に種類があるということへ自覚的でなかったときには、それを知性 (≒知的能力) と同一視していた。知性というのは一般に有無で表され、「知性がある ( または、ない)」という扱いをするものだと考えていた。あくまでそれは知性という同じカテゴリのものの中でのレベルの違いであり、専門分野の違いによる事前知識を抜きにすれば優劣がつくものだと考えていた気がする (優劣をつけたいと思ったことはなかったと思うが、「すごいなー」と思う裏には知性の優秀さへのリスペクトがあったと思うし、何かしら人へ不満を持ったときにそれを相手の知性の不足と (今思えば安易に) 結論付けていたことは正直に言って幾度となくあったと思う)。
一般に頭の良さとされやすい情報処理能力の高さ
それを顕著に感じていたのは前職のディー・エヌ・エーの在籍時で、あの会社はそれはそれは皆頭がよかった (それを私は知性が高いと感じていた)。ミーティングに30分参加をしていたとして、そのうち20分の会話が理解をするのが精一杯で、ラスト10分に自分の理解のための確認をして、ミーティング後に自身の理解不足を埋めるというようなことはざらにあった。これは別に周囲が不親切なわけでなく、とにかく会話のスピードが速いのだ。そして、その会話の一言で皆が理解するコンテキストが多い。それはコンピューターサイエンスの基礎知識であったり、社内固有の事情であったり、最新のトレンドであったり多岐にわたるが、1を聞いて20も30も文脈を含んで話が先へ進むので、理解が追いつかない。しかし、圧倒的に情報処理能力が高い人達が集まり、そんなスピードで物事が決定していくので、そこを引っ張る優秀な人たちによって尋常じゃないスピードで仕事が進んでいく。そんな会社だった。2年も居ればそのスタイルにも慣れたが、それでも自分の知性の不足を感じることが多い会社だった。
今はそれは知性の不足ではなく思考様式の違いを含んだギャップでもあったと認識ができる。「情報処理能力」と表現をしたが、あれはまさに情報処理能力の高さだった。瞬間に流れる情報に対して、そこから受け取る情報量を最大化して、それを高速に処理をして高い専門性から論理的に結論を導き出して進めていく。その処理量が多ければ多いだけ仕事は大量に進む。あのときの体験は、思考様式としては情報処理性能を重視したものだったと言える。
思考様式の3つのサンプル
今は自分の思考様式の特徴へもう少し自覚的なため、大量高速情報処理だけが思考の優秀さではないということを知っている。そして、自分の強みが別の場所にあることもわかった。ここでは、他にどんな思考様式があるのかを自分の特徴・思考の癖だと考えているものを例に挙げていこう。なお、思考様式はそれぞれ共存し得るのでどれかが近いから、他のなにかがまったくできないというようなものではない。考え方の特徴的な習慣をカテゴリーに分類しているだけだ。
問題解決型思考
問題解決型思考とはなにかというと、2023年の今でもこのエントリーを紹介するのが説明として一番しっくり来る。「圧倒的に生産性の高い人(サイエンティスト)の研究スタイル」にあるような思考様式だ。思考の特徴を安宅さんが整理しているのでそのままに並べると、
- まずイシューありき
- 仮説ドリブン
- アウトプットドリブン
- メッセージドリブン
となる。ここでとくにこの思考様式の優秀さというのが表れるのは「ちなみにこの白黒を付けるという姿勢がどの程度あるか、どのようなことに白黒つけようとするのかで、経営課題の場合、problem solverとしての質はほぼ規定される。」という文章によく表現されている。なにをイシューとみなすかという課題設定能力が優れていることが問題解決型思考の優秀さになる (この点で情報処理能力と独立している)。
この課題設定能力 (イシューの見極め) は、同じ安宅さんの HBR への寄稿「知性の核心は知覚にある」からの引用ではこのように説明されている (『イシューからはじめよ』の「よいイシューの3条件」よりも良い整理だと思う)。
イシューを見極めるということは、①答えを出すことにインパクトがあり、②答えが出せ、③明確かつ力強く人に伝えうる、問いを立てるということだ。
一つの事物からの多層的な思考
情報処理能力の高さを一つの思考様式の優秀さとするのならば、この一つの事物からの多層的な思考というのはそれとトレードオフの関係にある思考様式になる。これも言語化にあたっては安宅さんのブログから「噛みしめることを大切にしよう」の助けを借りたい。読んでもらった前提で、追加で解説をしていく。
世の中の情報を解析するステップとして、なにかを見たり体験したりしたときに、その情報を構文解析のように解釈可能な単位に分解し、意味解析をして個々へ意味づけをしていくとしたら、この思考様式は意味づけのプロセスにおける見解や選択肢の多さを特徴としている。たとえば、「チームがリリースを延期した」という一つの出来事にあたっときに、どんなことを考えるか。ぱっと考えつくところとしては、「延期の影響はどこに出るのか」「原因はなにか」「次の打ち手はなにか」「チームの受けとめ方やモチベーションはどうか」あたりだろうか。人によっては「謝罪」「防衛」などが浮かぶかもしれない。この辺は経験からの思考のパターンがあって、出てくるところだろう。
ここで多層的な思考と呼んでいる思考様式は、ここからもう一段も二段も考えを巡らせることを指している。先ほどの考えに加えて、「原因はなにか」に対してなぜなぜ分析で考えを深めていったり、「チームがリリースを延期する前に支援することはできなかったのはなぜか」「それは組織文化の問題に起因するのではないか」「組織がそのような課題を持つとしたら、なにができるか」といった方向へ考えを発展させたりする。あるいは、「リリースを延期する前にそのような不確実性を解消しておけなかったのはなぜか」「開発プランの設計でケアできなかったのはなぜか」「開発プロセスの理解はチームでそろっていたか」などプロセスとの側面で発展させることもできるだろう。同じように採用時の人材要件へ考えを発展させることもできたりする。
このように「一つの事物からの多層的な思考」はいくらでもあり得た可能性を広げることができるので、現実とつなぐためにはどこかで収束させることが必要になる。高速に情報処理をするにはトレードオフが発生する傾向はあるが、それでもこの思考様式が強い人は一つの事象から物事を理解する学習能力が強い傾向があり、使いこなすことができれば優れた特性と言える。
割りきらず複雑なままに扱う
ロジカルに考えるというのは、現実をモデル化する中で情報を切り捨てる側面を持っている。そうしないと、論理的に議論をすることができないため、本来は様々なノイズを含んだ現実を単純化する。「割りきらず複雑なまま扱う思考」はそこで切り捨てるようなものも含めて、本当に評価が必要なときまではホールドしておき、極力複数の変数の相互作用による演算結果の違いが表れるのを遅延させるような思考様式だ。現実は複雑なので、なるべくそこから逃げずに考える。これもまた、情報処理能力の高さとはトレードオフの関係にある。なぜかというと、たとえば時間軸での変化の影響であったり、個人・チーム・組織・他組織といった人への計算しにくい影響であったり、そういった答えの出しにくいものを「なかったこと」にせず、常に影響しあう可能性として考え続けるからだ。そのために必要なのは脳みそのCPUでなくメモリーであり、一部の変数を変えたときの影響をシミュレーションし続けながら、最適解を探り続けるような頭の使い方が求められる。
さらに難しいのは、現実世界ではどこかでは割りきらないと (ある程度モデル化して判断において取り扱える程度に単純化しないと) 判断ができなかったり、少なくとも他者への説明ができなくなるので、複雑なままでは判断の役に立たずモデル化する必要がある点だ。脳内シミュレーションだけで終わらせず、ある程度の段階で評価をしてやる必要がある。その意味で、遅延評価的だ。
思考様式の種類は自身の価値観や気持ちよさに大きく影響している
ここまでで、情報処理型と3つのサンプルで合わせて4つの思考様式を説明してみた。私が言語化できていないだけで、他にも様々な思考様式があるはずだ。これらはあくまで思考の特徴であって、どれかだけを使っているということはなく、組み合わせて思考をしている。ここで重要なのは、これらの思考様式の違いに人による得意不得意があり、それは能力や技術に依存をしていることに加えて、自身の価値観や気持ちよさにも大きく影響をしているという点だ。
冒頭の「なぜ今の会社にいるのか・続けられるのか」の話で言えば、私は現職のエス・エム・エスの思考様式と相性がよかったと感じている。これまで自身でもあまり自覚していなかった思考的な特徴を「良いもの」として評価してくれたのは、この会社が初めてだった (というか、思考的な特徴を良いにしろ悪いにしろ、言及されたこと自体も初だった)。思考様式は生来の習慣である場合もあるし、価値観から選択し身につけたものである場合もあるが、それが環境によっても後押しをされるというのは良い体験だった。
世の中に求められる思考様式の種類は画一的ではない
人やチーム、会社のような組織として見たときに、同質性が高いほうが働きやすさにもつながるし、一方で多様性はその組織の選択肢の多さになるので強さにもつながる。この思考様式の違いにおける自身のやりやすさや気持ちよさ、価値観からどういった組織へ所属すると快適かというのが違ってくるということを知っておくだけで、少し人生が過ごしやすくなる。思考様式の違いでもトレードオフという言葉が何度か出現している通り、思考様式はあくまで特徴の違いであって、どれかが最強の思考というようなものではない。解こうとしている問題や局面によって適した思考様式は違ってくる。違いがあるということを知ること。そして、自身の特徴にあった場がきっとどこかにあるということを知っておくことは、様々な場面で選択肢を広げることになると思う。